畦町宿案内
2009・5・08日ー畦町宿案内の更新を致しました。
「ぎゃらりぃ畦」のある「畦町」は旧唐津街道の宿場町。
道の両側に100軒ほどの民家が列んでいますが、上町〈かんまち〉・中町・下町〈しんまち〉と横道、裏道含めてぐるりと散策すると都会の喧噪とかけ離れたタイムスリップの世界を味わえます。
「ぎゃらりぃ畦」から出発しての散策おすすめモデルコース①~⑮を紹介しましょう。宿は上町から下町までただ歩くだけなら10分程度ですから、30分程度の散策と思って愉しんでください。履き物はハイヒールや革靴、サンダルでなく、ウォーキングシューズをおすすめします。
①中町にある「ぎゃらりぃ畦」から上手右にすぐの横町に入ると、7月14日の夏祭り、「お祇園」に山車が出る「お祇園樣(須賀神社)」です。お祇園様は明治になって政府の神仏分離製作で須賀神社と名称変更それましたが、村人は関係なく今でもお祇園様と呼んでいます。
境内には祠の他に、とっても大きな栴檀と銀杏の樹があります。昔はここに常設舞台があって巡回の劇団が来たり、「萬年願」(④参照)の芝居や踊りが奉納されていました。
②お祇園樣を引き返して、右手に曲がって街道を上手に行くと右手にすぐ「郡屋」があります。今は写真のように荒れていますが、江戸時代は庄屋などの村役が集まって会議をしたり事務を執った集会所です。現在中には入れませんが、入り口から縦に真っ直ぐの土間があって、右手に普通の家よりは根太の高い畳の間がありました。昔からこの家は「ぐにや」と呼ばれていました。
③郡屋の向かい、今畑になっている広い空き地には江戸時代、畦町宿の庄屋だった八尋家があった場所です。ここにはその後、日本の国民健康保健制度のモデルとなった「定礼」医として名高い高村医院となりました。最後の定礼医であった高村直嗣先生を讃えた「高村翁姓頌徳碑」が病院跡地に建立されています。
④更に上手に行くと上町の一番端(ここが宿の東構口です)の右手に大きな蘇鉄の木と石灯籠が見えます。ここから右手に108段(写真の蘇鉄の前の石段は後年のものなので数えません)の長くて急な石段を上り切ると「天満宮」があります。①に書いた「萬年願」は9月25日に行われた、江戸時代の宿大火を受けて「宿に再び大火がないように」という願いを込めた天満宮の祭礼でした。「萬年願」は今は途絶えていますが、同時に始まった「夜廻り(火の用心の夜廻り)」は今でも受け継がれていて、冬の夜、小太鼓の音が宿に響きます。
蘇鉄に向かい合った古い民家が高木さん宅です。明治元年に立てられていますが、屋根や低い二階の作りに江戸時代の民家の様子をよく残しています。
⑤上町の宿外れから畦町橋を渡って100㍍ほど行くと大きな道と交わる四つ角の左手に江戸時代に建てられ「宗像宮道」と彫られた「立石」が立っています。力のこもったいい書体です。立石の天辺を見るとデコボコの穴があります。昔はこの穴に菜種油を入れ、夜炊いて燈明にしていました。ここを左に曲がっる道を行くと宗像大社だとの道標です。「立石」は道が広くなった分だけ近年ずらされています。旧唐津街道は左に曲がらずそのまま直進し、大穂から原町を経て赤間宿に達しました。
⑥更に100メートルほど街道を進むと右手に「このみ窯」があります。焼き物の常設展示・即売がありますのでお好みの方にはグッドでしょう。「このみ窯」の左前方に見える山が「許斐山(このみやま)」で宗像氏の山城がありました。
⑦「このみ窯」から、来た道を引き返します。立石までいかない左手、数本杉の木が立っていて畑に上がる土手によく見ると小さな石の「板碑」があります。戦国時代に許斐山は古戦場となりましたが、その折討ち死にした武士を祀ったものだといわれています。
⑧「立石」から街道を逸れ50メートルほど右手の信号機のある四つ角を左折、西郷川に沿って暫く歩くと最初の橋が宿橋ですから、それを渡ります。渡ってすぐを左折して草道を50メートルほど行くと右手に水の神樣である「貴船樣」があります。ここでは8月30日に「風止籠(かざとめごもり)」という祭礼が行われます。大風が来ずに豊作になってくれとの宿の民の願です。短い石段を上ると、かつて田鋤きや荷車引きの担い手だった牛の石像があります。
⑨そこを出て草道に戻り次の橋(大明神橋)から右手にゆるやかな坂道を上るとすぐに宿の氏神様の「八幡宮(神興宮)」です。新年と10月15日には「万民和楽」「五穀豊穣」の幟が立てられ、それぞれ元旦祭と宮座の神事があります。春は桜の花が、秋は銀杏の黄葉がきれいです。
⑩そこから引き返して大明神橋を渡り、公民館と消防車庫の横を抜けて街道に出、左前あるガードレールの横の細道を、民家の間を通り抜けてくねくね登ると宗像四国西部霊場第56番札所の「お大師樣」です。修行大師像とお堂があります。ほんのちょっとですが山歩きの気分を味わえます。
⑪引き返して左に街道に出ると斜め向こうに防火壁の「卯建(うだつ)」がきれいに遺り、漆喰がきれいな「小田牛乳所」があります。ここは大正の始めに宗像地区で一番に乳牛を飼育して牛乳は戸別配達したところです。川向こうに飼育場はあって多いときは14頭の乳牛を飼っていました。建物は明治の始めの建造。
⑫小田家の隣の隣が、以前、清酒「松鶴」を醸造していた「中村酒屋」です。通りに面して今ではなかなか見掛けられない「潜り戸」と「覗き窓」を持つ古い引き戸があります。中にはいって上を見ると大きな梁。下は昔からの土間で、帳場も残っています。築300年の貴重な建築物です。
⑬酒屋を数軒下った反対側に、江戸時代からの「バンコ」が現存する旧清水家があります。使用するときは留め金を外して縁台を地面に立てて人が腰掛けるのです。ちなみに「バンコ」はポルトガル語で縁台・床几・腰掛のことです。
⑭清水家の隣に赤煉瓦塀が目立つ1600年代開山の「護念寺」があります。浄土真宗本願寺派。ご院家も坊守さんも親切ですから、宗派に関わりなく気軽にお立ち寄り参り下さい。もちろんまず回帰以来お立ちの阿弥陀樣にお参り下さい。
⑮お寺からそのまま下って下町の一番端(ここが宿の西構口です)に出て左手の石段を上ると、室町時代の「米一丸の仇討」事件で知られる「観地山地蔵堂」につきます。米一丸が不幸にも命を落とした仇討ちの仔細については堂内に説明文がありますが、お堂の下には今でも都から米一丸を訪ねてはこの地で病没した母親の遺髪や短刀などの遺品が納められています。
レトロな畦町宿は空気もきれいで何より静か。イベントも毎月入れ替え、手作りお菓子も販売し、コーヒーはサービスの「ぎゃらりぃ畦」に、ぜっぴきんしゃい。
★「ぎゃらりぃ畦」のお隣は「手もみ処桜や」さんです。バランスマッサージ30分1500円から各種。身体のリラックスご希望の方はお気軽にお声かけ下さい。
*本案内文の最終更新作成は2009・5・8・文責岩熊。無断の転載は御遠慮下さい。連絡先は092-943-6789。
「畦の街散策案内」大作でしたね、ご苦労様でした。
沢山見て回れるところが有るのが良いですね!番子が良い!
我が山荘付近の散策は登って下り、下って登りと一周出来ないのがたまに瑕です。しかし夏炉冬扇さんお忙しい事、お身体ご自愛くださいね!
by Ryu (2008-11-21 22:18)
Ryu さんお早うございます。お読み下さってありがとうございます。朝、ちょっとだけ訂正追加しました。今日「宿」の長老に点検してもらいます。
さて、畑に行って、それから営業だ。
by 夏炉冬扇 (2008-11-22 06:58)
ご苦労さまでした。
早速お気に入りに登録です。
by junsbar (2008-11-23 07:36)
junsbarさん今晩は。
友人知人以外の「お客さん」がぼちぼ見えるようになりました。
by 夏炉冬扇 (2008-11-23 21:26)
遅ればせながら 畦町宿案内を見せていただきました。
のんびり歩きながら散策してみたいですね~
最後は「ぎゃらりぃ畦」でコーヒーを^^
by タックン (2009-05-17 21:07)
タックンさんお早うございます。
案内も「改訂」しないといけないところあれこれ。
やっと地図を作りました。
by 夏炉冬扇 (2009-05-18 07:37)